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【レビュー!】夏目漱石『坊ちゃん』〜誰しもこころに坊ちゃんを飼っている話

不朽の名作をいまさらレビュー!!

夏目漱石『坊ちゃん』

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしているーーー。

日本人であれば一度は読んだことがある、少なくとも名前くらいは知っているであろう坊ちゃん。

痛快で、真っ直ぐで、そして冒頭の独白のとおり、たしかに無鉄砲。主人公・坊ちゃんは、とにかく自分の正義と筋を貫く男です。

本音と建前。空気を読むこと。そういったものが重視されがちな日本において、坊ちゃんのような存在は、ある種の“理想像”として映ってきたのではないでしょうか。そして、この点において、坊ちゃんは普遍性を獲得しているのだと感じます。100年経っていても面白く読めるのはそういう部分なのではないかと。

たとえば、堀田罷免に伴う昇給の話。
普通のサラリーマンであれば、多少筋が通らない話であっても、昇給の話を受け入れてしまうのが現実でしょう。

ですが坊ちゃんは違う。
「それはおかしい」と思えば、きっぱり断る。それどころか、一度はわけもわからず了承したものを、ことの次第がわかればわざわざ出向いて断りにいく。

これができる人間が、現代にどれだけいるでしょうか。

本音で生きる。
自分を曲げない。
筋を通す。

言うのは簡単ですが、実際にやるのは、この社会で暮らすにあたって極めて難しい。だからこそ、日本人は坊ちゃんにどこか憧れてしまうのだと思います。

そして物語の終盤。赤シャツと野だいこを待ち伏せて捕まえ、生卵をぶつけ、職を放り出して東京へ帰る。

めちゃくちゃです。完全に。現代なら捕まります……というか作中明治時代にあっても捕まるの覚悟でやっています。ただの私刑ですからね、こんなん。

でも、道理は通る……かどうかも怪しい。そもそもうらなり先生に頼まれたわけでも、本人から事情を聞いたわけでもないのです。ウワサと推測で断罪している。道徳的には明らかに間違っている。仮に自分の子供から事の顛末を聞いたら卒倒確実です。

現代における無数の「坊ちゃん」

……と、よく考えたらめちゃくちゃなんですけど、でも読むとスカッとする自分がいます。まぁ、フィクションですからね。そうして読み継がれてきたのが、この『坊ちゃん』という小説なのでしょう。ほんと、『こころ』を書いた人間と同一だなんて信じられません。

人は、坊ちゃんに憧れながら、社会の中で折り合いをつけつつ、自分の人生を歩んでいくのです。

と、キレイにまとめかけましたけど、ここに来て無数の坊ちゃんが現れたのが現代。

SNSというものが普及し、匿名での発言が当たり前になった今、誰もが「自分の正義」を振りかざせる時代になりました。

気に入らない相手がいれば叩く。
間違っていると思えば断罪する。

いわゆる炎上というのは、無数の“坊ちゃん”が、ウワサと推測を元に生卵を投げ続ける状態です。

ただし、決定的に違う点があります。

坊ちゃんは、顔も名前も晒し、自分の立場を賭けたうえで行動している。
一方で現代のそれは、匿名のまま、責任も負わず、気が済めば去っていく。

リスクのない正義ほど、強く、そして厄介なものはありません。

その意味で、坊ちゃんよりもさらに性質の悪い坊ちゃんが生卵を構えながらウロウロしているのが現代SNSです。

坊ちゃんに憧れる気持ちは、たしかにある。この小説が名作として語り継がれているのであれば、その普遍性の源である「自分の正義で誰かを裁きたいという欲求」「他者を断罪し自分の正しさを証明したいという欲求」も、少なくとも明治以降、普遍的なものなのでしょう。

ですが、それが実行できる環境がいざ実現したからと言って、それを実行してしまうのは、話が別です。

坊ちゃんは、あくまで物語の中の存在だからこそ成立する。現実で同じことをすれば、ただの無鉄砲で終わるでしょう。今は開示請求とかの話もあってだいぶ落ち着いてきてますからね。

だからこそ。

憧れるだけで、ちょうどいい。そして、それに憧れる自分自身という存在を見つめ直し、戒める。

誰かと何かを話すとき、ふと自分は「正義の生卵」を振りかぶっていないだろうか?と。

ちなみに

あらためて大人になって読み返してみるとこの『坊ちゃん』、田舎に対する偏見と憎悪に満ちすぎていますね。現代ではポリコレ的に絶対書けません。それこそ炎上必至。

こんな卑劣な根性は封建時代から、養成したこの土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底直りっこない。

仮にも教員として赴いておいて、生徒に対して「教えても無駄」と断ずるこの一文。(地方特有の世間の狭さに辟易として出た感想ではありますが)あんまりです。

そもそも松山に着いての第一声がこれ。偏見でしかない。しかし偏見で断ずることができる、その無鉄砲さがどうしても憎めません。

船頭は真裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。

が、突然、大森がもらい事故に遭ったりもします。この辺り、明治のころの町のイメージが現代と違うのが新鮮。

見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。

昨今X上でのアメリカのデカい肉文化交流とポリコレの関係性が指摘されていましたが、この時代の著作物にはポリコレなんて毛ほども気にしていない表現に溢れていて、これもまたオツなものです。数年前、マツコや有吉が人気になったのと同じ系統というか。ギリギリ言えないこと、スカッと言っちゃう系のお二人ですが、これは言っちゃいけないこともスカッと言っちゃう系小説。

仮にもブロガーとしてやっている身からすると、多方面なにも気にせず書きたいことを書けるというのは羨ましく感じるものです。

と、大人になってからあらためて読むと色々発見がある『坊ちゃん』。みなさんも新年度のお供に1冊いかがでしょう。

著作権切れているので青空文庫でも読めますけど、やっぱり紙で読むのをオススメしたいです!!

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今日のモディファイ!

これだけ言われても、坊ちゃん電車とか坊ちゃん団子などなど観光資源にできる松山の度量のデカさは瀬戸内海では収まらないデカさだなと思った愛媛行でした。道後温泉、また行きたいものです。

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