酒を飲んだら爽やかかつシモな記事を書きたくなったので書きます。靴にも関係します。させます。
良いお年を!
まず最初に言いたかったのはこれだ。
良い年をお迎えください!!
は?と思われた方もいるだろう。今このタイミングで言えば、世界で1番早いのではないかと思った。無害にした迷惑系ユーチューバーみたいな感じだ。あなたの2022年初、良い年をお迎えくださいを奪うブログ、もでぃふぁいど!を今後ともよろしくお願いいたします。
それにしたってハッピーニューイヤー!もメリークリスマス!も今のタイミングで言うのはちょっと違うけれども、良い年をお迎えいただくぶんには数日間、数時間、あるいは、ゆく年くる年の5分間以上に準備したって良いのでは?
こんな場末のブログの、こんな書き出しで始まる記事まで読んでいただける読者の方には、心の底から良い年を迎えていただきたいと、思っている。
2023年を迎えるまであと1ヶ月半。ボーナスもあれば、クリスマスも、冬季休みもあるかもしれません。精一杯(物欲を以て)あがき、良い年を迎える準備をしましょう。
ちなみにこれは年内最後の更新ではなく、12月末まで記事は書くし、このブログの最終回(仮)も書いておこうと思っています。これもあらかじめ言っておきますが、来年以降もダラダラ記事は書くだろうと思うので最終回(仮)です。思うところはその際に。
これまでもこれからも、ですます調のところは読者の皆さんに、である体のところは独り言スタイルで続けます。
たち上がれ、おぢさんたちよ……!!
ここ数年の悩みは毎年暮れに書いている通りで、「もう革靴の履き心地に関して新たな発見はない」ということだ。
足型にもよるだろうが、今のところ既製の最高は個人的にサンクリスピン。
もうコレはちょっとやそっとでは超えられないベンチマークであって、価格的にも定価で買って20万超え、個人輸入でも関税込みで若干安くなるか?というイッパシな感じ。もうここまでたどり着いた時点で革靴キ〇〇〇であると言っても決して過言ではない。そうでないと言う人があればごめんなさい。
いや、もしかするとサンクリスピンを超える履き心地の靴は浅草あたりで出会えたりするかもしれない、という期待は抱き続けているものの、どうしたって価格的には10万以上するもので乗るか反るかの博打をする気が起きない。
確実にサンクリスピンを超えてくる革靴があれば教えてほしいです。金を払ってでも買います。
(念のため言っておくと、こういうワケのわからない記事を思い立ったときにジャブのように打ってくるこのブログには、「サンプル提供するから広告記事を書いてください」みたいな依頼は1度も来ない。ただの1度も。ここまでの700だか800記事以上、全て自腹購入である。)
で、そういう博打をして「あぁ〜やっぱサンクリスピンにしときゃよかった!」となるくらいなら、いっそビスポークしたほうが良いのでは?ということで頼んだのがKiyo Uda氏のMTMである。
いやもうこれは、本当に良いです。どれだけ良かったかって、良すぎてこれさえ履ければ幸せなので、サンクリスピン全部売っちゃった。ここまでベタ褒めしておいてこの仕打ち。人って怖いですねこういうやつを信じちゃいけませんよ
で、これまた毎年暮れに決まって書くのは、「これで旅は終わった気がしている」みたいなことですよ、また。革靴道の終わり、革靴界の底が見えてしまったのだと。
いや、実際には、本音のところで言えば、もでぃふぁいど は革靴のことを本当によく知っているかといえば、だいぶ怪しい。履き心地に関して、いろんなブランドのいろんな靴を履いて体験してきた、というだけなのである。詳しい人はもっといくらでもいる。
例えば、経験人数がすごい女の子が知り合いにいたとして、彼女と関係を持った兄弟だけでサッカーの試合ができちゃうし、なんならベンチに交代要員まで置いておけるけど、彼女が男について全てを知っているかと言えば、そんなことはないはず。もでぃふぁいど もそれといっしょ。ただ革靴を履いてきただけ。この例えで合ってますか?
ともかく、そういう意味では道は間違いなく終わっていない。しかしなぁ〜履き心地はかなり極めたと思うんだよなぁ〜。
しかし、しかしである。
話は急転直下、青天の霹靂な話題転換術を以て強引に捻じ曲げた結果、最近、老いというものを考えている、という話をさせていただきたい。
糸井重里氏と矢野顕子氏が対談か何かで言っていた。「人間、放っておけばどんどん悲しくなる」と。
たしかに若い頃は気にならなかった白髪が目立ち始め、なんなら眉毛やら鼻毛やらにも白いのが混じり、体はバキバキに硬くなり、あまつさえ腰が痛くて靴下を履くのに難儀したりする。2歳児だって靴下くらい履けただろ??
しょうがないから休みの日に接骨院で1人、尻に吸盤をつけられ、電気を流されたりして午前中を潰す。
放っておけば、老いにやられてしまう。どうしたって悲しくなってしまう。君はパンツを半分脱がされ、ケツに吸盤をつけられて微弱な電流を流されたまま放置される20分の虚しさを知っているか??
だからこそ、その対談の結びは「意識して明るくしていかなくては人生やっていけない」みたいな感じだった気がする。肝心のところを覚えていない。ひとえにおじさんだからである。悲しいな。
明るくしてやっていくためには……情熱が必要だ。終わりに見えたこの道……まだ終わりではないのではないか?この先に新たな地平がまた開けるのではないか?世界は今も広い。あの頃と変わらないはずだ。あの頃、それは19〇〇年のことである。
◆
あれは初夏を思わせる日差しの中に、まだ涼やかな風も吹き抜ける5月のことだったと思う。
午前8時20分。
小学校の薄暗い校舎内は、ひんやりとした空気に浸っている。人もまばらな教室に入ると、もう抑えきれない、と言った様子で登校してきたH君が話し始めた。彼は隣町の進学塾に通っていて、そちらで得た(主にあっち方面の)見聞をクラス内に広める伝道師として知られていた。
「なぁ、知ってるか?」
「何を」
大して興味もなさげに隣のO君が言う。そのあとH君が口にすることが、今後ずっと忘れられない一言になろうとは思いもしなかった。
「男のさ……アレを、女が口に入れるんだって」
読者諸賢はもうお気づきだろうが、ド下ネタである。しかし、ここにいるのは当年とって齢10かそこらの小学生男子3人。当時の僕はこう返した。
「なんで?」
それは、H君にも、O君にも、僕にもさっぱりわからなかった。だってそもそも食べ物ではないし、なんで口に入れたいのかがわからない。ましてや、いつ、どのように、どうしてそんなことになるのかも、3人とも見当がつかなかった。あまりのわからなさ、得体のしれなさに最早なんとなく怖くさえあった。
「あんまり食べられたくないなぁ」
O君が小学生には無用の心配をする。H君が続けた。
「ともかくさ……そういうことをさ、なんて呼ぶかってことなんだよ」
「知らない」
僕とO君が口を揃える。H君は自慢げに続けた。僕らは息を呑む。
「それをさ……バブっていうんだぜ」
時が止まった。
バブと言えば、アレだ。家にもたまに置いてある入浴剤だ。アレに?そんな意味があるの?
ふと横を見るとO君も顔をしかめていた。彼もまた、家庭用入浴剤と禁断の行為との分別を頭の中でつけていたのだろう。
話はそれで終わりだった。
今でも入浴剤の売り場に行くと1人、このことを思い出す。バブからしたらただの風評だ。
たしかに数年後、(頭の中では)謎が解けた。しかし当時何がどうなってなぜそんなことになったのか、もうH君に尋ねる機会は訪れないのだろう。こちらの謎は今も深まり続けるばかりだ。
◆
もでぃふぁいど 少年はこのあとも、
- 図書室の辞書のそういう単語群に、やたら蛍光ペンでラインを引くのに執心する男
- 図書室の辞書で、やたら蛍光ペンが引かれている単語について親御さんに率直に尋ねて三者面談になった男
- 穴を空けたメロンにナニを突っ込むと感触が似ているという噂をお中元で確認した挙句、家族にバレた男
- 右手を正座した足の下に挟み、痺れさせて感覚をなくせば自分で致しても他人にされているようだという噂を確認しようとするも、道半ばで夜間救急に運ばれた男
など、さまざまな猛者に出会っていく。男子校ってバカばっかりでイヤですね。
さて、なんの話がしたかったのか。
子どもの頃、世界は未知に溢れていた。
そんな世界の中で、皆一様に、むやみな衝動と無意味な行為で自分の世界を広げていったということは、上のお話からお分かりいただけたと思う。
つまり、特に深い意味のなかったバブも、メロンにナニを突っ込むのも、J.M.WESTONでやたらキツい靴にチャレンジするのも、ハンガリーからサイズ感イチかバチかで個人輸入するのも、全て自分の世界を広げる行為に他ならないのだ。
我々の前には、未知が、道が、まだ残っている。自分の世界を広げる余地はそこここに。
2023年、サンクリスピンを履いたことない方は、ぜひ田中十靴店でド肝を抜かれてください。ビスポークがまだの方は(もでぃふぁいども厳密にはMTMですが)やってみましょう。憧れだったジョンロブ、エドワードグリーン 、ガジアーノガーリング、ウエストン、オールデン 、チャーチ。チーニーだってサンダースだって、買って履いてみましょう。
我々の前には未知がたくさんあります。しかし、その正体を問えるのは1度だけなのです。なれば2023年こそは。
サンクリスピンとビスポークを超える履き心地についてもゆるりとアイデアを募集します。できれば家族にバレてもメロンをダメにするより総スカン食らわない方向で。
今日のモディファイ!
2023年、たち上がっていきましょう、おぢさんたち。
明日朝にはきちんと靴記事です!